私のつれづれ

そろそろSkate Canadaのサイトにゼネラルミーティングの写真などがあがってくるのではないでしょうかね。
オフィシャルサイトが更新されてます。6月も振り付けに取りかかりながらスポンサー関連の仕事などもあって忙しいようですね。
記事も二つばかりあがってますね。
http://www.nationalpost.com/sports/story.html?id=549782
これは最新のインタビューということですね。オーサー氏、気がきいてるわ〜!
http://goldenskate.com/articles/2007/053108.shtml
GSの方は「振り返り」っぽい記事かな。
ジェフは本当にプログラムを大切にしますよね。道化師をエキシ用にリメイクしてくれて本当にありがとう!ですよ!!


ジェフのアディオス・ノニーノはやはりご両親に捧げたプロだったのですね。


私は9年ほど前に父を亡くしております。
父は病気を煩っており大変な闘病生活でした。なので、父が亡くなった後は正直なところ「ホッとした」という思いに近いものもありましたね…。薄情に聞こえるかもしれませんが。もちろん心臓が止まった直後はそれはもうなんともいえない悲しい思いがブワーっと溢れてきて号泣したのですが、そのすぐ後にはもう、病院側からあれこれ説明受けたり、葬儀屋さんを手配したり、親族や関係者に連絡やらと、本当にあれこれやらなくてはならないことが押し寄せて、えらく冷静に戻っていました。いや、これは経験した人ならわかるのではないかなぁと思うのですが、本当に悲しいという感情より「あれをしなきゃ、これをしなきゃ」という段取りのことを冷静に考える方が勝っているのよ。悲しんでいる暇もありゃしないのよ!
だいたい危ないって状態になってから2日ぐらいかかっているものだから、その間も全く眠れていなかったりするワケです、どこか朦朧とした中で、あれこれ打ち合わせしなくてはならないのだ。(母は呆然としていてまったく頼りにならないし)そしてお通夜にお葬式と、とにかく怒濤の勢いで進んでいくわけなんですよ、危篤状態になったときからずーっと不眠不休状態で!
でも、ときどき物凄い勢いで悲しみが押し寄せてくるのですよ、例えば、死装束に着替えさせているときとや最後にお棺にお花を入れるときとかなど。そういうときには人目もはばからずに号泣してしまうのですよ、でも、なぜか、その号泣の山場が終わると「さっ、あれをしなくては」と、頭と感情の切り替えが妙に素早くできてしまうという。本当に不思議な感覚でした。
お骨を拾って、そして、初七日の法要を済ませて、家に帰ってきたときには心底「ホッ」と、もう「これでゆっくり眠れるんだ〜」って、もうそれしか頭になかった(笑)

父がもうこの世にいない…という寂しさを実感するのはもっともっと後になってからなのよね…。亡くなった直後というのはそれどころじゃないのよ、私のような普通の凡人の場合は。…つくづくピアソラって本当に偉大な芸術家だ。。


私の父はとても堅い人で、厳格で、、いわゆるフレンドリーお父さんなタイプではなかった。私が多感な年頃の頃は決して良い関係とは言えなかったものです。ある程度大人になってからは私の側に「親孝行」という思いも芽生えたし、社会人になってからは父の言うことの意味のもわかるようになりましたが。

今でも父の夢を見ることが多いのですよ、とても頑固で煩わしいことを言う父の夢。夢の中でもいつも口論をしています。目覚めて「あ、夢か…」と、目覚めてしまったことが残念なような、どうしようもないような寂しさと懐かしさがこみあげてきて、なんとも切ないような、甘いような…幸せなような、そんな不思議な気持ちを味わうのです。


ジェフのアディオス・ノニーノを見ながらそんなことを思い出したしだいです。